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  • 執筆者の写真zushimitsuhiro

ありがとう、またね。

僕の心に刻む為に。



2020年11月15日

おばぁちゃんが旅立った。

享年99歳。


大正11年に生まれたおばぁちゃん。

大正、昭和、平成、令和を生きたんだね。


沢山生きたね。

お疲れ様。

ありがとう。



葬儀中に一緒に過ごした思い出に浸りながら、

とっても「当たり前」の事を思った。



僕が知っているおばぁちゃんの人生は、

おばぁちゃんの一生の内のごく僅か。


僕の親父を産む前の人生は、

親父すら知らない。


俺が出会った時は、

もうおばぁちゃんだった。


でも、

おばぁちゃんにも赤ちゃんの時はあったし、

青春時代もあったし、

おじいちゃんと結婚して僕のオヤジを生み母親となった時代も。


当たり前の事。


おばぁちゃんがいなければ、

今の僕はない。


当たり前の事。


ばあちゃんの体はそこのあるのに、

もう目を覚ますことはない。


この世には生を受けて、

生をまっとうした人間の姿。


当たり前の事をずっと考えてた。


でも、

ばあちゃんにとっても、

その一瞬一瞬が当たり前じゃない。


今の僕と同じ。

一日一日を大切に思ったり、

嫌になったり、

何気なく過ごしたり、

必死に生きたり、

楽しく生きたり。


これも当たり前。



おばぁちゃんは、もういないけど、

僕の記憶にはしっかり残っている。


当たり前の事。


当たり前を大切にしようと思った。



僕よりも、

僕のオヤジのがずっとたくさんの思い出がある。

そりゃそうだ、母なんだから。


喪主であったオヤジ。


ああだこうだ文句言いながら、

涙一つ見せず喪主を務めたオヤジ。


全ての式を終えた夜は、

ベロベロに酔っていた。


まぁ疲れも溜まっていた事だから、

無理もない。


全員が寝静まっても一人焼酎を飲んでいた。


そんなオヤジが寝る前に、

真っ暗な部屋の、

おばぁちゃんの遺影の前で、

声を荒げ泣いていた。


今まで聞いたこともない声で、

泣いていた。



最後の方は施設だったけど、

介護の為に、

一人宮崎に帰り面倒を見ていたオヤジ。


その声には、

たくさんの思いが詰まっていたと思う。






生と死を、

沢山考えさせてくれた。


おばぁちゃんはもういなくて悲しいけど、

99歳、しっかり人生をまっとうしたんだから、

悲しみではないのかもね。


出会いもあれば別れもある。

それが人生。

当たり前のこと。



そんな当たり前に、

心より感謝。



おばあちゃん、

たくさんたくさん、

本当にありがとう。


またね。






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